第7章 インボイス方式による場合の事業者免税点制度

前章では、事業者免税点制度における過去の主要な法改正を時系列で辿り、その問題点と規制されるべき対象について考察を加えてきた。本章では、今後の事業者免税点制度に視点を移し、予定されている法改正について、インボイス方式を中心に検討していくことにする。

第1節 仕入側の益税の問題

1.本稿の第3章において、益税問題を取扱う中で、事業者免税点制度において消費税を不当に多く預かる事業者の売上側の益税について、図を基にして考察した。その中で、仕入側の益税の問題についても、簡単に触れた。それは、「免税事業者が発行した請求書等に基づく仕入税額控除が認められること」であり、「公平の観点から問題であることは紛れもない事実[250]」であった。残念ながら、この仕入の側からの益税について試算した研究を筆者は寡聞にして知らないが、その試みが売上げ側の試算以上に困難な状況にあることは、想像に難くない。

 公表されている資料からその一端を考えてみると、公正取引委員会は平成26年の増税時の「転嫁拒否行為に対する対応実績[251]」として、消費税転嫁対策特別措置勧告一覧を公表している。その中で、事業者免税点制度に関連する事例を紹介すると、スポーツ施設の運営等の事業を行う㈱ルネサンス[252]は、自社のスポーツ指導員に対して、免税事業者であることを理由に、増税分の支払いを一部拒否するような決定を行い、買いたたき規定に違反するとして勧告を受け、公表されている。この他、学習指導事業を営む㈱トライグループは、個人事業者である家庭教師に対して、同様の違反[253]を指摘され、またホームセンター事業を営むDCMダイキ㈱及び㈱ホームセンターサンコーは、自社店舗で野菜を販売する免税事業者である農家に対して、その仕入代金について8%を乗じた額を上乗せせずに定め、支払ったとされている。

2.この公表により気づく[254]ことは、売上高が数百億[255]にも及ぶ大企業が、免税事業者である外注先に対して正しく消費税を上乗せして支払わないのに、仕入税額控除を最大限に享受することで、相当な額の益税が発生している状況を示唆している点である。更に注目すべきは、㈱ルネサンスや㈱トライグループの事例であり、両社それぞれの主力事業であるスポーツジム事業や家庭教師派遣事業において、経費のかなりの部分を占めるであろう人件費を、スポーツ指導員や家庭教師を個人事業主とすることで、巨額の仕入税額控除[256]を受けている状況が想定される点である。この点は、同業種の他社にも同じような構造(実質的には自社従業員に近い外注先を個人事業者として扱い、仕入税額控除を受ける方法)により益税が発生している状況も懸念されるところである。


[250] 森信茂樹 前掲(注)86 40~41頁 

[251] 公正取引委員会経済産業省「転嫁拒否行為に対する対応実績(令和元年9月まで)」https://www.meti.go.jp/press/2019/10/20191023001/20191023001-2.pdf 最終アクセス 2019年12月1日

[252] 金井肇「中小事業者と消費税」日税研論集70 日本税務研究センター(2017年1月)364~365頁に詳しい。

違反の内容は、自社運営施設のスポーツ指導員と業務委託契約を締結し、同指導員が免税事業者であることを理由として、個人事業者(約2000事業者)の業務委託料を以下の通り決定し、個人事業者に書面で通知した。

①スタジオレッスン担当者及びテニス担当者については、報酬の基準となる額に、消費時率の引上げ分3%相当額に満たない20円を一律に上乗せ

②パーソナルトレーナーについては、消費税率の引上げ分を上乗せせずに据置き

[253] 違反の内容は、家庭教師に対し、平成26年4月1日以後の委託料金(消費税込)について、消費税率の引上げ分を上乗せせず同年4月分を支払った。

[254] 本資料には、51社に及ぶ名高い大企業・団体等の消費税の転嫁違反が名指しで公表されているが、本稿の論点ではないので、扱わない。

[255] ㈱ルネサンスの2019年3月期の連結売上高は460億円。DCMホールディングスは、2019年2月期の連結売上高は、4457億円。㈱トライグループの売上高は非上場企業のため、非公表ながら、登録教師 22万人(2019年8月時点)を同社のHPで公表しており、その巨大な事業規模を伺い知ることができる。

[256] 具体的な公表データはないため、試算はできないが、仮にスポーツ指導員である個人事業者の平均外注費を年額110万円(税込み)と低めに想定し、2000人在籍していることを考えると、消費税額は一人当たり10万円となることから、10万円×2000=2億円という計算が大雑把には成り立ちうる。

 尚、スポーツ指導員や家庭教師が、年間1000万円以上の収入を得て、確定申告をし、消費税を納付している場合も想定しうるが、その割合は、かなり低いものと思われる。

第2節 小規模事業者の実態

1.ここで改めて、そもそも個人事業者や小規模事業者とはどのような者か、という問題を考え直す必要があろう。その全容は、金井税理士の論文[257]に詳しいが、その一部を本稿で紹介させていただくことにする。中小企業庁が発行する「2018年版小規模企業白書」を確認すると、小規模企業とは、小規模企業振興基本法第2条第1項の規定に基づくおおむね常時使用する従業員が20人以下[258]である者をいう。「小規模企業白書」における小規模事業者[259]は、約325万者[260]であり、このうち、個人事業者が197.3万者(60.6%)を占め、その中で常用雇用者がない個人事業者113万者[261]になるという。

2.この常用雇用者がない個人事業者のうち、かなりの数の事業者が免税事業者に該当することと想定され、その取引先は、先に見たような大企業であることといった構図も描かれるところである。金井税理士によると、売上高が年間1000万円以下の個人事業者が営む事業所のうち、最も多数を占める業種はサービス業関連ということになり、サービス業関連の業種を多く含むフリーランス[262]について、次頁の表から考えて「かなりの者が免税事業者の範囲内にあるものと思われる[263]」としている。

 また、「シルバー人材センターを介して行われる仕事は、その多くが役務提供を伴うものであるためサービス業関連の業種」となり「シルバー人材センターに加入する会員は、請負又は委任契約に基づいて働くので、労働者ではなく事業者となる」という。統計[264]によると、平成30年の当該会員数は全国で約71万人であり、全体の契約金額を人員数で除算すると、1人当たり平均約44.6万円(年)となり、「他に事業を営んでいない限りほぼすべてが免税事業者であろう[265]」としている。


3.また、サービス業関連の個人事業者に関しては、厚生労働省が報告書を公表し、「近年、就業形態の多様化に伴い、業務委託契約や請負契約に基づいて就業する者(個人請負型就業者)が増加して」いること、「またこの中には、実態として雇用労働と変わらない者や、自営であるものの雇用労働に近い実態を有する(雇用と自営の中間とも言える)働き方の者がいる[266]」点を指摘し、その者の実数が100万人規模[267]であると推計している。

 同報告書の求人調査によると、個人請負型就業者の業種は、対個人サービス業(エステ、塾等)、道路貨物運送業、卸・小売業、飲食店等が多く、職種としては、高度な専門性を要する職種から、未経験者でも受託可能な職種まで、多様な職種[268]にまたがって従事していることが明らかになった。

 また、同報告書のアンケート調査によると、企業が個人請負型就業者を活用するメリットとしては、①専門的業務に対応できる、②即戦力・能力のある人材が確保できる、③人件費が節約できる、④臨時・季節的業務量の変化に対応できる等があり、デメリットは①雇用とは違い、特定の人材を継続的に囲い込んでおくことがむずかしいこと、②業務遂行の質を確保することが困難なこと等[269]が挙げられている。

4.メリットのうち、③の「人件費が節約できる」に関しては、個人請負型就業者は各労働法規[270]の適用がないという点で、社会保険料を支払わなくてよい等[271]、人件費の節減に寄与していることになる。

 そして、最も重要視すべき点は「税務上は、請負契約に基づく支払は、消費税の仕入税額控除の対象になるということが最大の人件費の削減につながっている[272]」という点である[273]。ただし、この点で「個人請負型就業者については、それがいわゆる『偽装請負(委託)』であって各労働法規の適用を受ける『労働者』か否かの問題とともに、税務上は、個人事業者と給与所得者の区分の問題として、消費税の取扱いおよび、所得税の源泉徴収義務の有無に関して紛争事例が生じる分野でもある」として、金井税理士は、問題を指摘している。

5.本節では小規模事業者について、金井税理士の論文を手掛かりに、その実像を具体的な業種を挙げて確認してきた。そこから伺い知ることができたことは、約325万者いる小規模事業者のうち、約3割を占める者(約100万者)が、被用者に近い個人請負型就労者であるという事実である。また、その就労者の多くが免税事業者である可能性が高い実態であり、そのことは裏を返せば、就業者の就業先である大企業等に、巨額の仕入税額控除という益税が発生している可能性が高い、という実態を示している。


[257] 金井肇 前掲(注)252 375~383頁

[258] 中小企業庁編「2018年版 小規模企業白書」(2018年7月)

 サービス業・小売業は、5人以下。

https://www.chusho.meti.go.jp/pamflet/hakusyo/H30/PDF/shokibo/00sHakusyo_zentai.pdf 最終アクセス2020年1月6日

[259] 小規模企業白書では、「小規模企業者」を対象とするが、この中には「会社」のみならず、「個人事業者」も含まれることをわかりやすく記すため、「小規模企業者」のことを「小規模事業者」ということとする。

[260] 中小企業庁編 前掲(注)258 27頁

企業数は、全体で382万者あり、大企業は約1.1万者(0.3%)中規模企業約56万者(14.6%)小規模事業者約325万者(85.0%)となり、中小企業が99.7%を占める。

[261] 前掲(注)258 28~29頁

「常用雇用者」とは、「経済センサス」の定義によれば、期間を定めずに雇用されている人若しくは1か月を超える期間を定めて雇用されている人、または調査対象の前2か月にそれぞれ18日以上雇用されている人をいう。 

[262] 金井税理士によると「フリーランスは、必ずしも明確な定義があるわけではないが、一般的には、ソフトウェアの設計・開発(SE)、ウェブデザイン、ライティング等、自らの持つ技術や技能を拠り所に、組織に属さずに個人で活動する事業者として捉えられている」という。

[263] 金井肇 前掲(注)252 378~380頁

[264] 公益社団法人シルバー人材派遣センター事業協会 平成30年度全国統計 http://www.zsjc.or.jp/toukei/toukei_pdf?id=13 最終アクセス 2020年1月11日

[265] 金井肇 前掲(注)252 378頁

[266] 「個人請負型就業者に関する研究会報告書」厚生労働省政策統括官(労働担当) (2010年4月)3頁
https://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r98520000005yde-img/2r98520000005ygi.pdf 最終アクセス2020年1月6日

[267] 厚生労働省政策統括官(労働担当) 前掲(注)266 10頁

「個人請負型就業者に関する公的な統計は存在しないため、その総数を正確に把握することは難しいが、山田久(2008)は国勢調査からの推計で、2000年では約63万人であったのが、2008年には約110万人まで増加していると指摘している。また、労働政策研究・研修機構「多様な働き方の実態と課題」(2007)によれば、労働力調査から各種補正を行った結果、125万人と推計されている。」

[268] 厚生労働省政策統括官(労働担当)前掲(注)266 12~13頁

 職種としては、システムエンジニア等の技術者や建設業の一人親方、運送員、外交員といった従来から請負が多いと考えられるもののほか、エステティシャン、美容アドバイザー、講師、(宴会等の)配膳、調理補助、受付、ゴルフキャディなどが確認された。

[269] 厚生労働省政策統括官(労働担当) 前掲(注)266 382頁

[270] 労働基準法、労働契約法、労働者災害補償保険法、雇用保険法等をさす。

[271] 原聡美「個人請負・業務委託の現状と今後に備える」 ファイナンシャルコンプライアンス40巻11号(2010年11月)102頁

 他にも、「出退勤の管理が不要で時間外労働に対する割増賃金を支払わなくてよい」「有給休暇を与える必要がない」「最低賃金の適用がなく、報酬額を双方の話し合いにより自由に決められる」「諸経費込みで業務委託するため、経費を節減しやすい」等の節減効果が指摘されている。

[272] 金井肇 前掲(注)252 383頁

筆者の考えでは「消費税の控除」が「人件費の削減」となるわけではなく、あくまで同じ金額を支払うのであれば、給与として支払えば仕入税額控除が全く受けられないのに対し、外注費として支払えば、仕入税額控除が受けられる点で、企業側が有利になるため、と思われる。

[273] 消費税と雇用形態の関係を論じた文献として、「消費税アップは非正規雇用を増大させる~労働総研による試算~」労働レーダー第36巻第4号(2012年4月)2頁

第1項 インボイス制度の導入

1.本稿執筆中の令和元年10月1日に、消費税率は国・地方公共団体等を合わせて、8%から10%へと2%増税された。それと同時に、軽減税率制度が導入され、一定の取引については税率が8%に据え置かれる複数税率を持つ制度へと改正された。複数税率の導入と同時に導入されたのが、従来の請求書等保存方式を維持しつつ、区分経理に対応するための措置として「区分記載請求書等保存方式[274]」であり、従来の請求書等の記載事項[275]に加えて、「⑤軽減税率の対象品目である旨」「⑥税率ごとに区分して合計した対価の額(税込)」の2つの事項が新たに加えられることになった。

更には、4年後の令和5年10月1日から、複数税率に対応した仕入税額控除の方式として、「適格請求書等保存方式」(いわゆるインボイス制度)が導入されることとなった。これにより、税務署長に申請して登録を受けた課税事業者である「適格請求書発行事業者」が交付する「適格請求書[276]」等を保存することが、仕入税額控除を受ける要件となった。

2.金子教授はかつて、インボイス方式を導入することの優位性について、「第一に、わが国でも、事業取引において、請求書・納品書等の発行が一般的であるから、それに取引対価の額に加えて100分の3[277]の消費税額を記載することとすれば、それはインボイス方式に外ならない。その意味では、インボイス方式は決して複雑ではなく、また事業者に過大な負担を課する制度でもない。第二に、インボイス方式の方が、事業者にとって、仕入税額の計算をより簡便にしかもより正確に行いうることである。特に、将来、税率が大幅に引き上げられて複数税率が採用された場合には、インボイス方式の方がはるかに正確に仕入税額控除を行いうると思われる。第三に、EU各国をはじめ多くの国々がインボイス方式を採用していることにかんがみると、税制の国際的統一(harmonization)の観点からも、インボイス方式への切り換えが好ましいと考える[278]」と分析されており、インボイス制導入こそ、わが国の消費税が国際的基準に適合したものになるための、最も重要な改革と位置付けていた。その意味で筆者は、今回のインボイス制導入を決定した英断を、高く評価する[279]者の一人である。


[274] 本方式の問題点として、免税事業者も税率ごとに区分した明細書を出すことが求められていることである。「これは大変奇妙なことで、納税のない者が税率や税額を決定し、顧客の税額控除の金額を左右することになる」(沼田博幸「消費税をより簡素で公正なものに-構造上の問題を中心として-」 租税研究838号(2019年8月)89頁)という問題を指摘する声があった。

[275] 国税庁HPより 

①発行者の氏名または名称

②取引年月日

③取引の内容

④受領者の氏名又は名称

[276] 国税庁HPより

従来の請求書等の記載事項である「①発行者の氏名又は名称」が「①適格請求書発行事業者の氏名又は名称及び登録番号」(傍線筆者)に変更された。

[277] 当時の消費税率は、3%であった。

[278] 金子宏 前掲(注)4 16~17頁

[279] 「公平、中立、簡素という消費税の長所は、単一税率によってもたらされる」(金井恵美子「税率構造-軽減税率の法制化を踏まえて」日税研論集70 日本税務研究センター(2017年1月)462頁)という点で、単一税率というわが国の消費税の長所を失ったことと「(軽減税率)制度により、およそ1兆円の減収が見込まれる」(吉成俊治「平成28年度税制改革の論議-消費税の軽減税率制度と法人税改革」立法と調査No.379(2016年8月)1頁)という点は痛恨事ではあるものの、インボイス制度導入という大願を成就させたという点で、筆者は評価に値する改正であったと考える。

第2項 インボイスという名の税の連鎖

1.第1節第2節で見た仕入側の益税問題は、消費税の納税をしていない免税事業者が発行した請求書等に基づき、仕入税額控除が認められることに端を発していた。つまり、沼田教授によると「現行の帳簿制度は、『前段階で納付した税の税額控除』を実施する仕組みとしては、明らかに透明性が欠如してい」て「売主の納税義務と買主の税額控除の権利が正確に結合されていないという制度的欠陥が存在する」ことから、その結果として「課税の漏れが構造的に発生」することになる。具体的には「前段階の売主が税を納付していない場合であっても、買主において税額控除が可能になっている」ため、「税率が現在より高くなった場合や複数税率が導入された場合には、制度への不信感が増幅される可能税がある」との指摘であり、「上記の不透明さは、消費者サイドからすると、制度への不信感を抱かせる[280]」危険性を孕んでいるとのことである。

2.この不透明感・不信感は、沼田教授によると「日本の消費税の最大の問題」であるところの「税の連鎖が切断されている」状態に起因している。つまり、「消費税は間接税であり、取引に対する税」であることから「税の連鎖」が重要になるのであって、「取引における売主と買主の課税上の取扱いを同一にしておく必要」があるにもかかわらず、わが国の消費税では「取引相手の課税上の取扱いは無視し、個々の事業者の当該課税期間における人的な課税属性、つまり課税事業者か、免税事業者か、簡易課税事業者かによって、課税事業者の取扱いが決まる」ことになり、つまりは、「税の連鎖が切断されている[281]」状況になっているのである。

そして、インボイス制度が導入されることにより、仕入税額控除が適格請求書等を発行できる課税事業者からの仕入れに限定されたことから、「インボイスに記載された税額が正確に回転し、事業者の税負担ゼロを実現し、かつ、税の連鎖が消費者の段階まで確保され[282]」ることから、「税の連鎖」が回復することになり、制度の不透明感や消費者サイドの不信感の基となった仕入側の益税問題については、ほぼ完全に解消するものと思われる。


[280] 沼田博幸「消費課税におけるインボイスの役割について-EU/VATにおけるインボイス制度の改革を参考として-」会計論叢第5号 明治大学専門職大学院会計専門職研究科(2010年3月)19頁

[281] 沼田博幸 前掲(注)274 87頁

[282] 沼田博幸 前掲(注)274  80頁

第3項 インボイスによる相互牽制作用の有効性

1.インボイスについては、その導入以前から水野教授が指摘するように「インボイスの交付を通じて取引当事者間にくさり(chain)をつくり、それにより相互牽制作用(self-policing)を働かせることができる[283]」という側面があり、「この相互牽制効果こそが、消費税のコンプライアンスの向上をもたらす[284]」として、事業者間に適正な納税申告を促す効果を期待する声が大きい。

その一方で、この相互牽制作用には実務上の限界があることが指摘されており、その理由の一つには「取引の事実を裏付ける書類は各事業者および当該取引の相手方の手元で保存されるにとどまり、直接課税当局に提出されるものではない」ことから「自己または他方当事者に対する調査の可能性を低く(極端な場合はゼロと)見積もる事業者についてまで、正しい申告を後押しする仕組みが埋め込まれているわけではない」ため「税務調査の抑止効果との相互作用によって初めて作動する仕組みとして理解しなくてはならない[285]」と吉村教授は指摘している。

その打開策として、「一定以上の頻度でインボイスの照合が行われているとの認識の醸成が必要である」ことから「一定額以上のインボイスについて、法定調書とすることが考えられる[286]」と提言する専門家もいる。

2.また、相互牽制作用は「取引の最終段階、すなわち最終消費者との結節点までは、この仕組みはカバーしていない」点も問題であり、これは「付加価値税の性質上、最終消費者には仕入税額控除が認められていないのであって、取引に係る一定の書類を保存するインセンティブは存在しない」ことから「連鎖する取引の末端でクロスチェックに基づく追跡可能性は失われ」ることになり、相互牽制作用による「抑止効果は作用しない」という「最後の1マイル問題(last mile program)[287]」が存在する[288]

これらの取り組みは、今後のわが国のインボイス制度の制度運用においても、参考にすべき点があるように思われる。


[283] 水野忠常『租税法 第5版』 有斐閣(2011年4月)774頁

[284] 森信茂樹 前掲(注)86 41頁

[285] 吉村政穂「消費税と情報-付加価値税の自己執行メカニズムを中心に-」 ジュリスト1539号 有斐閣(2019年12月)36~37頁

[286] 笹川篤史「インボイス方式に関する論点についての考察」経営と経済第93巻第3号 長崎大学経済学会(2013年12月)119頁

[287] 吉村政穂 前掲(注)286 37頁

 ラストワンマイル問題とは、物流における、最終拠点からエンドユーザー(消費者)への物流サービスにおける問題のこと。わが国でもアマゾン・楽天等のネット通販が急激に発展したことから、物量増加・配達手数料の低さ・配達員確保の問題・再配達の問題等を指すのが、本来の意味。吉村教授の論文では、この流行語に付加価値税の問題を結びつけている(提案者は、イギリスのJoana Naritomi准教授)。

[288] 吉村教授はこの問題の解決法の一つとして、「調査官としての消費者」を利用した仕組みを挙げており、ブラジルのサンパウロ州で行われた実証研究を紹介している。

これは、一定のオンライン手続きを経た消費者について、納税者番号の記入された領収書を発行してもらうことによって、くじに当選する可能性を認める制度を導入した。領収書は、事業者から課税当局に電子データとして毎月提出され、消費者はインターネットで領収証の内容を確認することができ、情報の誤りや領収書の不発行があった場合には、不服を申し立てることができ、当該取引で罰金が生じた場合には、告発をおこなった者に罰金の一部が配分されるという。

このような制度を導入したところ、小売部門と卸売部門の事業者について比較したところ、小売部門の納税者番号入りの領収書が発行される割合が大きく増加(売上額に占める割合が20%台後半であったのが40%前後まで上昇した)という。

第4項 インボイス制度の下での事務負担について

1.インボイス制度の下で、改めて問題となってくるのは、小規模事業者の事務負担の問題である。この点について、「インボイス方式では取引の都度、インボイスの新たな発行とその保管が必要となり、また、インボイスに記載された税額に変動があれば訂正のインボイスが必要になる。特に小規模な事業者にとって取引の都度正確なインボイスを発行したり長期の保管等の事務は過重な負担となるであろう[289]」という声がある一方で、先に見た金子教授の意見同様「多くの事業者が取引において、すでにインボイスに近い請求書を使っていますし、直接税を払うための複雑な事務処理も行っています。その中で、インボイスを導入したからといって、それで格段に事務負担が増えるということはありません[290]」という声もある。

2.しかしこれらの議論は、既にインボイス制度の導入が決定された現在においては、最早重要ではないと思われる。それは、「新しい電子商取引の進展した現今においては、ペーパー・インボイスを前提とするインボイスについての議論は、過去の遺物と化しつつあるというべきかもしれない」として、「電子商取引が進展した究極の状態においては、インボイスそのものも請求書や領収書等の証憑と渾然一体となって、これらの区分の意味が失われるとも考えられる。その場合において残されるものは『表示すべき事項の法定』ということにすぎないであろう[291]」とする、ペーパー(紙)のインボイスを前提としない、電子インボイスを用いた新しい展開が示されているためである。この電子インボイスについては、この後の節で扱うことにする。


[289] 村瀬正則「インボイス導入の短所」 税研VOL.22No.4 日本税務研究センター(2007年1月)35頁

[290] 野口悠紀雄「インボイス導入の軽減税率で消費税制の適正化を図る」 第三文明No.673 第三文明社(2016年1月)25頁 

[291] 志賀櫻「消費税法-第6章 インボイス-」 税務事例Vol.44 No.8 財経詳報社(2012年8月)3頁

第5項 インボイスの偽造問題

1.一般的に、インボイス方式の付加価値税は脱税に強い税金だといわれる。これは林教授によると、先に見た相互牽制作用により、課税方式に脱税を防止するメカニズムが内在しているためである。もちろん、インボイス方式を採用するヨーロッパ諸国でも脱税は存在するが、その多くはインボイスを発行しない小売段階において発生したものである[292]

ただし、多段階課税である付加価値税の場合には、かりに小売段階で脱税が発生しても、政府が失う税額は全税額の一部、つまり小売業の付加価値税に相当する部分の税額に抑えることができる。これに対して、小売売上税の場合には、脱税によって政府は全税額を失うことになることから、付加価値税は税収調達手段として極めて強固なものである、とのことである[293]

2.このように理論的には、脱税に強く税収調達手段としても優れていると思われていた付加価値税のインボイス方式ではあるものの、反対派からは実際的な問題点としてインボイスの偽造問題を指摘されている。

例えば、売手と買手が共謀して、それぞれが保存するインボイスに異なった税額を記載するという不正等が起こりうることから、「インボイス方式を採用しているヨーロッパ諸国においても、付加価値税の申告漏れや脱税あるいはインボイスの偽造による脱税があるといわれている[294]」点が、指摘されてきた問題である。

西山教授の紹介によると、2014年の統計ではEU域内の付加価値税収は約1兆ユーロで全税収の17.5%を占め、EU域内の「付加価値税ギャップ(VAT Gap)は1595億ユーロで全付加価値税収の14.6%にのぼる。この「付加価値税ギャップ」とは、本来徴収されるべき税額と実際に徴収された税額との差額をいい、脱税額のみならず、租税回避により失われた税額、産業・倒産などによって徴収できなかった税額、単なる計算ミスによるものも含まれるが、とくに脱税額の実態を示す数字として注目される数値である、とのことである[295]

2.この付加価値税ギャップが、14.6%にものぼるということは、インボイス制度が必ずしも万能ではないことを示す実態として、留意すべき数字である[296]

しかし、現行の帳簿方式を維持していたとしても、申告漏れや脱税、偽造問題と無関係とは言えないであろう。その意味では、むしろ、電子インボイス制度の導入といった、新しい技術の活用による偽造防止の方途を探ることができる点で、インボイス方式の方が優位に立つと思われる。

3.また事務負担の点で、徴税者側の視点から考えると、「税務当局がこの膨大な量のインボイスを突き合わせて調査を行うことは、非常な困難が予想され限定的なものとしかなり得ないであろう[297]」という点を危惧する論者もいる[298]

更には「ヨーロッパではどうやってチェックしているかといえば、現実には積みっぱなしで、脱税しようと思えばできてしまうという状況[299]」であり、「実際にはヨーロッパでは、我が国で取りざたされるほどにインボイスを役立ててはいないのである[300]」といった声も聞かれた。

この問題に真正面から取り組んだのが韓国である。1977年から付加価値税を導入し、同時にインボイス方式を採用した韓国[301]の税務当局では、1970年代にインボイスのクロスチェックを当時の技術[302]で行った例があり、「本当に1枚、1枚行ったわけで、非常に膨大な手間と時間[303]」がかかったとの報告がある。なぜ、これほどまでに手間をかけてクロスチェックを行ったかといえば、いわゆるinvoice seller(インボイスを売る事業者)というものが現れたため、それを防ぐために行ったという。いわゆるinvoice sellerは、偽造インボイス発行者であり、その手口は、ペーパーインボイスの偽造である。そのため、韓国では、電子インボイスの導入が本格的に始まることとなった。


[292] 先に見た「最後の1マイル問題」である。 本稿143頁

[293] 林宜嗣「第5章 帳簿方式及び簡易課税の検討」 前掲(注)41 100~101頁

[294] 村瀬正則 前掲(注)289 36頁

[295] 西山由美「消費課税と脱税」『木村弘之亮先生古稀記念 公法の理論と体系思考』 信山社(2017年8月)190頁

 付加価値税収は欧州連合統計局(Eurostat)により、付加価値税ギャップはOECDの試算による。

[296] 特にドイツでは、カルセール・スキームと呼ばれる脱税スキームによる被害が最も大きいとされ、正式な統計は公表されていないが、その損害額は年間100億ユーロにものぼるとされる。このような深刻な脱税対策として、「リバース・チャージ方式」が導入され、脱税実行者への罰則規定の新設を行った、という。

西山由美 前掲(注)293 204頁

 こうしたスキームは、主に国境を越える取引で仕組まれることから、EUのような陸続きで国境のハードルが低い国家間で仕組まれやすいため、わが国には余り目にすることのないスキームではあるが、今後のわが国においても商取引のデジタル化やボーダレス化により、同様のスキームが仕組まれる可能性は否定できないことから注視すべき問題である、と思われる。

[297] 村瀬正則 前掲(注)289 36頁

[298] 他には、上西左大信「軽減税率の区分経理方式の課題と問題点」 税研No.176 日本税務研究センター(2014年7月)63頁

[299] 水野忠恒「税務当局サイドのチェック体制なしにインボイス導入は不可」 税理第55巻第11号 ぎょうせい(2012年8月)4頁

[300] 林宜嗣 前掲(注)293 100~101頁

[301] 湖東京至「韓国の付加価値税・インボイス方式の問題点」中小商工業研究第140号 全商連付属・中小商工業研究所(2019年7月)74頁 を参考にした。

[302] 3枚複写のインボイスを作成させ、1枚は相手先に1枚は自社の保存用に、1枚を国税庁に提出させた。膨大なインボイスが国税庁に寄せられたため、国税庁はその集計作業に多くの人員を割かねばならなかった。 湖東京至 前掲(注)301 80頁

[303] 玉岡雅之「消費税におけるインボイス制度の設計について」 租税研究第809号 日本租税研究協会(2017年3月) 131~132頁

第4節 諸外国の電子インボイスの導入事例

1.韓国では、「コンピューター(原文ママ)の発達とともに、2011年から電子インボイス方式を導入したことにより、国税庁の作業は大幅に削減された。電子インボイスの目的は集計作業の省力化と紙のインボイスによる偽の仕入税額控除(『インボイス屋』の横行)を防ぐことにある。電子インボイスを発行すると取引の相手方に電送されるとともに、国税庁のサーバーに電送される」という。ペーパーインボイスは、偽造が容易であることに加えて、クロスチェックに膨大な時間がかかることが弱点であったが、電子インボイスであれば、その2つの弱点を同時に解決することが出来る画期的な方法であると思われる。

 そして、韓国では「すでに法人取引のうち98.4%が電子インボイスによっている」状況であるものの、「年間売上高3億ウォン(3000万円)以上の個人事業者の普及率は54%となっており、2分の1弱の者がいまだ電子インボイスによっていない(2016年分、韓国国税庁統計資料による)」状況である。また、「年間売上高3億ウォン未満の個人事業者は電子インボイスによる義務がないため、相変わらず紙のインボイスを使っている[304]」状況とのことである。

 また、消費者への販売は、インボイスの発行義務がないため、特に消費者に対する現金売上は国税庁が把握できない弱みがあったが、この状況を改善するために、韓国では政府主導で、クレジットカードによるキャッシュレス決済取引を奨励することになった。その方法は「奨励するといっても、ただでは普及しない。そこでサラリーマンに対し年末調整で200万ウォン(20万円)から300万ウォン(30万円)のクレジットカード所得控除制度[305]という餌を与えた[306]」という。このほか、宝くじの権利付与[307]や、店舗でのクレジットカード取扱義務付け[308]を行うことで、クレジットカード発行枚数は、1999年から2002年にかけて2.7倍、クレジットカード利用額は6.9倍に急拡大[309]したという。

 その内訳は、発行枚数1億480万枚であり人口は4734万人であることから人口1人当たり2.2枚であり、利用総額は約622兆ウォンであり実質GDPが約1020兆ウォンであることから、実質GDPの約61%にも上った[310]。これによりインボイスの発行義務がない消費者に対する販売についても、課税庁側が把握できる確率が上がり、脱税の余地を相当に封じ込んだものと評価して良いと思われる。

2.一方、EUでは、2001年のいわゆる「電子インボイス指令[311]」以降、電子インボイスをめぐる議論が盛んに行われているとのことである[312]。EUでは、2007年にEU法令に係る企業のコンプライアンス・コストを2012年までに25%削減することを目標に掲げ、その重点分野の一つとして付加価値税を挙げていたという[313]。また2009年に行った調査によると、EU法令に係るコンプライアンス・コストは、EU全体で795億ユーロと推計され、そのうち付加価値税に関する項目」が上位三つを占めたという[314]。また、その解決策として、統一的で使いやすく入手しやすい、電子インボイス、電子帳簿管理、電子記帳のルール作りや、付加価値税のルール自体の簡素化を挙げているとし、2010年にEUが行ったコスト削減に関する調査では、電子インボイスや電子帳簿を使いやすくし、その利用を促進することによって、約184億ユーロのコスト削減効果が見込まれるとの指摘がなされているとのことである[315]

更には、これらの調査結果を踏まえ、インボイスに関するルールの簡素化、電子化及び域内の共通化を目的とするEU指令(2010/45/EU)が2010年7月に採択され、2013年1月から施行された。具体的には、電子インボイスを紙ベースのインボイスと同様に取り扱うことを明確化する規定や、100ユーロ未満の取引について簡易インボイスの発行を認める規定等が設けられたという[316]

3.国単位の取り組みとしては、デンマークでは2005年からインボイスが電子化されており[317]、ドイツでは、売上税については電子申告が原則となっているため、申告納税手続の電子化の一環として、インボイスの電子化も進められていて[318]欧州委員会の調査によると、ドイツ国内では年間600億通以上のインボイスが発行されているが、印刷して郵送する場合には1通につき16.16ユーロかかるのに対して、電子インボイスの場合は2ユーロで済むという[319]。これだけのコスト削減効果(約8分の1)があることに加えて、偽造の難しさという長所をもつ電子インボイスを、わが国においても、積極的に導入を検討すべき、と筆者は考えるところである。

4.また、韓国においては電子化によって(中略)記入漏れや間違いの確認が容易なため、訂正のための費用の削減・間違った場合の加算税発生の防止というメリット[320]も挙げられており、韓国租税研究院の試算によると、約7000億ウォン(約500億円)のコンプライアンス・コスト削減効果が見込めるとされている[321]

今後、インボイス制度を導入するわが国においても、「インボイスの発行及び管理にかかるコストの削減を進めるためには、電子インボイスや電子帳簿の利用を促進する取組が重要になる[322]」ことは、間違いないと思われる。


[304] 湖東京至 前掲(注)301 80頁

 「簡易課税適用者は売上高が4800万ウォン(筆者注:約440万円)以下なので全て電子インボイスの対象外」になるという。

[305] 韓国所得税における基本控除(わが国でいう扶養控除)は、家族1人当たり150万ウォン(本人を含む)であることから、このクレジットカード所得控除制度の扱いの大きさが分かる。

税理士法人トーマツ『アジア諸国の税法(第7版)』 中央経済社(2011年9月)9頁を参照

[306] 湖東京至 前掲(注)301 80頁

[307] 経済産業省「キャッシュレス・ビジョン」 経済産業省 商務・サービスグループ消費・流通政策課 (2018年4月)15頁

 クレジットカード月1000円以上利用で毎月行われる当選金1億8000万円の宝くじ参加権の付与される、とのことである。

[308] 経済産業省 前掲(注)307 15頁

 年商240万円以上の店舗が対象となった。

[309] 経済産業省 前掲(注)307 15頁

[310] 「政府の施策に沿う形でクレジットカード各社が会員獲得を急激に目指した結果、与信枠の過剰な提供により多重債務の問題が発生したり、情報管理が曖昧になり大規模な情報漏えい事件があったりしたことは、我が国におけるキャッシュレス推進の教訓にすべきとの意見もある」という。 経済産業省 前掲(注)307 15頁

[311] 「2001年の指令には、EUの加盟各国が、電子VATインボイスを発行することを承認し、クロスボーダーの電子インボイス等の互換性を可能にすることで、電子VATインボイスをEU単位で共通仕様にするためのルール設定をするとともに、課税の透明性を高めるものとする趣旨が含まれていた」という。 永田理絵「電子VATインボイス」 税務事例VOL.44No.4 財経詳報社(2012年4月)36頁

[312] 西山由美「インボイス制度の概要」税研131号 日本税務研究センター(2007年1月)18頁

[313] 佐藤良「インボイス方式導入をめぐる経緯と課題」調査と情報第949号 国立国会図書館(2017年3月)12頁

[314] 佐藤良 前掲(注)313 13頁

 「具体的には、『税務調査に対応するための帳簿管理』が359億5100万ユーロ(第1位)、『定期的な申告事務』が201億7900万ユーロ(第2位)、『インボイスの発行』が92億4400万ユーロ(第3位)との結果であった」という。

[315] 佐藤良 前掲(注)313 13頁

[316] 佐藤良 前掲(注)313 13頁

[317] 井堀利宏「複数税率の功罪-経済学の視点から」税研131号 日本税務研究センター(2007年1月)20頁

[318] 西山由美「消費税の税率構造とインボイス-伝統的消費税と現代的消費税からの示唆」 税理VOL.59No.5 ぎょうせい(2016年4月)5頁

[319] 西山由美 前掲(注)318 5頁

[320] 李炫定・渡辺智之「韓国の電子インボイス制度」 税務弘報VOL.61No.2 中央経済社(2013年2月)126頁

[321] 李炫定・渡辺智之 前掲(注)320 126頁

著者によると「韓国国税庁の担当者の説明による」という。

[322] 佐藤良 前掲(注)313 13頁

第5節 記入済み申告書という方法

1.韓国では、更に一歩進んで、電子インボイス方式の普及により事業者の売上高などを税務署が把握するところとなったことから、税務署は2016年から年間売上高1億ウォン(1000万円)以下の零細事業者について税務署サイドの資料に基づき付加価値税仮申告書を作成することとし、事業者は国税庁のホームページにアクセスすれば自分の仮申告書を見ることができる上に、その内容に納得すればそのままそれを申告書として提出することができるという仕組みを構築しているという[323]。そして同制度は、2016年には約160万人に記入済申告書を提供し、そのうち130万人が実際に申告を行い、そのうち70万人がそのままに申告しているという[324]

 この方法は、「小規模事業者の事務負担」という問題に対する解決策として、現時点では、最も理想的な解答と思われる。その根拠として、小規模事業者にとって負担となる煩わしい帳簿作成から解放されることに加えて、事業者によっては、決して安価ではない税理士費用を抑えることもできるからである。

2.韓国以外にも、記入済み申告書を導入している国として、イタリアの例が挙げられる。西山教授によると、イタリアの小規模事業者は、付加価値税で求められる帳簿保存及び中間納税が義務付けられていない。また、これらの事業者はインボイスの保存と年1回の申告のみが義務付けられている。そして、地域の税務署には専門相談員が配置され、個別相談に応じることで、正しい申告納税を促進することに加え、コンピュータに不慣れな事業者のために、納税に必要なデータが所轄税務署に直接送られ、税務署が納税申告書や付加価値税還付申告書を作成するという[325]

 イタリアの例は、電子インボイスを利用しているわけではなく、韓国に比べると電子化の度合いが低い分、制度的な洗練度は高くないと考えられるものの、課税当局が小規模事業者の事務負担に対して、真に寄り添った対応として、参考にすべき例であると思われる。

また、消費税ではなく、所得税の分野であるものの、エストニア共和国[326]でも、税務当局が各個人の許可に基づいて所得や税金控除対象が記載された申告書が納税サイトに用意されており、市民が問題ないと判断すれば、「承認」ボタンを押すだけで、申告が完了するシステムを整備している[327]。同じく、スウェーデンにおいても給与所得者等の記入済申告書が導入されており、エストニア・スウェーデン両国については、わが国の政府税制調査会が、2017年に調査報告を行っている[328]

また、オランダにおいても2009年から所得税申告書において、記入済申告書が導入されている[329]

3.しかし、記入済み申告書については、検討すべき課題も残っている。例えば、「この制度は、税理士を頼めない零細事業者に利便性があるというが、申告納税制度を崩壊させ賦課課税制度になる危険性を持っている[330]」として、申告納税制度の根本にかかわる問題として捉える専門家もいる。この問題については、先の韓国の事例においても、実際に申告した事業者の同制度の利用率は、53.8%と約半数強にとどまっていることから、国の記入済み申告書によらず、自己の計算において、申告納税を行う者も一定数確認できていることから、事業主の自主選択の自由が確保されている限り、問題はないと思われる。

また、「記入済申告書は消費税の判定ができない税理士と課税庁が『楽』になる制度であり、既に記帳代行を税理士に依頼している納税者にとっては何らメリットがない。仮に、納税者を税理士の怠慢に付き合わせる場合には、十分な説明責任を果たす必要が生じてくるであろう[331]」と指摘する税理士もいる。しかし、納税者にとって「何らメリットがない」と考えるのは早計である、と筆者は考える。なぜならば、記帳代行を税理士に依頼している納税者が、税理士の計算による申告書と記入済み申告書を比較した結果、その内容に大差がないということであれば、税理士に記帳代行を依頼する必要性に疑問を感じ、税理士との顧問契約を再検討する事業者が現れるものと考えられるためである。そして、韓国のケースから明らかな通り、納税者にとってメリットがあったからこそ、利用率は、53.8%になっているとも考えられるのである。

4.いずれにせよ、申告納税制度崩壊のおそれの問題も税理士に記帳代行を依頼している納税者にとってのメリットの問題も、選択する権利は納税者にあるべきであり、納税者が自分自身の意思により、記入済み申告書制度を利用するかを判断し、又は、税理士を介して自身の計算において申告を行うかの決定を下すべき途が開かれていれば合理的である、と筆者は考える。


[323] 湖東京至 前掲(注)301 81頁

[324] 佐伯和雅「韓国の消費税制度~歴史と電子インボイス制度を中心に~」 税経新報677号 税経新人会協議会(2019年6月)22頁

[325] 西山由美 「中小企業と消費課税(Ⅰ)-中小企業をめぐる現状」 税理VOL.57No.6 日本税理士連合会(2014年5月)91頁

 対象となるのは、「起業後3年以内かつ年間売上額3万987ユーロ41セント以下(サービス業の場合)又は同6万1974ユーロ83セント以下(その他の事業)の事業者、及び年間売上額2万5833ユーロ84セント以下の小規模事業者である」という。

[326] 小林繁明・矢冨健太郎・渡場友絵「会計・監査インフラ整備支援-エストニアで進む電子政府の未来と会計プロフェッション」 会計・監査ジャーナル第30巻第4号 第一法規(2018年4月)92頁 

エストニアは「公共部門・民間部門の両方においてデジタル化が進む高度デジタル国家」としてメディアや評論家から取り上げられる機会が多くなった。「エストニアでは行政サービスの99%が電子化されており、銀行、政府閣議、税金、学校教育、投票、警察、医療など政治・経済・社会のあらゆる側面でのデジタル化を進め、デジタル技術により効率性と透明性が担保された高度な民主主義国家「e-Estonia」を作り上げようとしている」という。

[327] 小林繁明・矢冨健太郎・渡場友絵 前掲(注)326 94~95頁にその様子が詳しい。

[328] 中里実・林正義「政府税制調査会 海外調査報告(エストニア・スウェーデン)」(2017年6月)https://www.cao.go.jp/zei-cho/gijiroku/zeicho/2017/29zen10kai7.pdf 最終アクセス2019年12月15日

[329] 永田理絵「オランダの共通番号制度と電子政府」 税務事例VOL.43No.10 財経詳報社(2011年10月)33頁以降にその内容が詳細に記されている。

[330] 湖東京至 前掲(注)301 81頁

[331] 佐伯和雅 前掲(注)324 22頁