第5節 記入済み申告書という方法

1.韓国では、更に一歩進んで、電子インボイス方式の普及により事業者の売上高などを税務署が把握するところとなったことから、税務署は2016年から年間売上高1億ウォン(1000万円)以下の零細事業者について税務署サイドの資料に基づき付加価値税仮申告書を作成することとし、事業者は国税庁のホームページにアクセスすれば自分の仮申告書を見ることができる上に、その内容に納得すればそのままそれを申告書として提出することができるという仕組みを構築しているという[323]。そして同制度は、2016年には約160万人に記入済申告書を提供し、そのうち130万人が実際に申告を行い、そのうち70万人がそのままに申告しているという[324]

 この方法は、「小規模事業者の事務負担」という問題に対する解決策として、現時点では、最も理想的な解答と思われる。その根拠として、小規模事業者にとって負担となる煩わしい帳簿作成から解放されることに加えて、事業者によっては、決して安価ではない税理士費用を抑えることもできるからである。

2.韓国以外にも、記入済み申告書を導入している国として、イタリアの例が挙げられる。西山教授によると、イタリアの小規模事業者は、付加価値税で求められる帳簿保存及び中間納税が義務付けられていない。また、これらの事業者はインボイスの保存と年1回の申告のみが義務付けられている。そして、地域の税務署には専門相談員が配置され、個別相談に応じることで、正しい申告納税を促進することに加え、コンピュータに不慣れな事業者のために、納税に必要なデータが所轄税務署に直接送られ、税務署が納税申告書や付加価値税還付申告書を作成するという[325]

 イタリアの例は、電子インボイスを利用しているわけではなく、韓国に比べると電子化の度合いが低い分、制度的な洗練度は高くないと考えられるものの、課税当局が小規模事業者の事務負担に対して、真に寄り添った対応として、参考にすべき例であると思われる。

また、消費税ではなく、所得税の分野であるものの、エストニア共和国[326]でも、税務当局が各個人の許可に基づいて所得や税金控除対象が記載された申告書が納税サイトに用意されており、市民が問題ないと判断すれば、「承認」ボタンを押すだけで、申告が完了するシステムを整備している[327]。同じく、スウェーデンにおいても給与所得者等の記入済申告書が導入されており、エストニア・スウェーデン両国については、わが国の政府税制調査会が、2017年に調査報告を行っている[328]

また、オランダにおいても2009年から所得税申告書において、記入済申告書が導入されている[329]

3.しかし、記入済み申告書については、検討すべき課題も残っている。例えば、「この制度は、税理士を頼めない零細事業者に利便性があるというが、申告納税制度を崩壊させ賦課課税制度になる危険性を持っている[330]」として、申告納税制度の根本にかかわる問題として捉える専門家もいる。この問題については、先の韓国の事例においても、実際に申告した事業者の同制度の利用率は、53.8%と約半数強にとどまっていることから、国の記入済み申告書によらず、自己の計算において、申告納税を行う者も一定数確認できていることから、事業主の自主選択の自由が確保されている限り、問題はないと思われる。

また、「記入済申告書は消費税の判定ができない税理士と課税庁が『楽』になる制度であり、既に記帳代行を税理士に依頼している納税者にとっては何らメリットがない。仮に、納税者を税理士の怠慢に付き合わせる場合には、十分な説明責任を果たす必要が生じてくるであろう[331]」と指摘する税理士もいる。しかし、納税者にとって「何らメリットがない」と考えるのは早計である、と筆者は考える。なぜならば、記帳代行を税理士に依頼している納税者が、税理士の計算による申告書と記入済み申告書を比較した結果、その内容に大差がないということであれば、税理士に記帳代行を依頼する必要性に疑問を感じ、税理士との顧問契約を再検討する事業者が現れるものと考えられるためである。そして、韓国のケースから明らかな通り、納税者にとってメリットがあったからこそ、利用率は、53.8%になっているとも考えられるのである。

4.いずれにせよ、申告納税制度崩壊のおそれの問題も税理士に記帳代行を依頼している納税者にとってのメリットの問題も、選択する権利は納税者にあるべきであり、納税者が自分自身の意思により、記入済み申告書制度を利用するかを判断し、又は、税理士を介して自身の計算において申告を行うかの決定を下すべき途が開かれていれば合理的である、と筆者は考える。


[323] 湖東京至 前掲(注)301 81頁

[324] 佐伯和雅「韓国の消費税制度~歴史と電子インボイス制度を中心に~」 税経新報677号 税経新人会協議会(2019年6月)22頁

[325] 西山由美 「中小企業と消費課税(Ⅰ)-中小企業をめぐる現状」 税理VOL.57No.6 日本税理士連合会(2014年5月)91頁

 対象となるのは、「起業後3年以内かつ年間売上額3万987ユーロ41セント以下(サービス業の場合)又は同6万1974ユーロ83セント以下(その他の事業)の事業者、及び年間売上額2万5833ユーロ84セント以下の小規模事業者である」という。

[326] 小林繁明・矢冨健太郎・渡場友絵「会計・監査インフラ整備支援-エストニアで進む電子政府の未来と会計プロフェッション」 会計・監査ジャーナル第30巻第4号 第一法規(2018年4月)92頁 

エストニアは「公共部門・民間部門の両方においてデジタル化が進む高度デジタル国家」としてメディアや評論家から取り上げられる機会が多くなった。「エストニアでは行政サービスの99%が電子化されており、銀行、政府閣議、税金、学校教育、投票、警察、医療など政治・経済・社会のあらゆる側面でのデジタル化を進め、デジタル技術により効率性と透明性が担保された高度な民主主義国家「e-Estonia」を作り上げようとしている」という。

[327] 小林繁明・矢冨健太郎・渡場友絵 前掲(注)326 94~95頁にその様子が詳しい。

[328] 中里実・林正義「政府税制調査会 海外調査報告(エストニア・スウェーデン)」(2017年6月)https://www.cao.go.jp/zei-cho/gijiroku/zeicho/2017/29zen10kai7.pdf 最終アクセス2019年12月15日

[329] 永田理絵「オランダの共通番号制度と電子政府」 税務事例VOL.43No.10 財経詳報社(2011年10月)33頁以降にその内容が詳細に記されている。

[330] 湖東京至 前掲(注)301 81頁

[331] 佐伯和雅 前掲(注)324 22頁