1.インボイスについては、その導入以前から水野教授が指摘するように「インボイスの交付を通じて取引当事者間にくさり(chain)をつくり、それにより相互牽制作用(self-policing)を働かせることができる[283]」という側面があり、「この相互牽制効果こそが、消費税のコンプライアンスの向上をもたらす[284]」として、事業者間に適正な納税申告を促す効果を期待する声が大きい。
その一方で、この相互牽制作用には実務上の限界があることが指摘されており、その理由の一つには「取引の事実を裏付ける書類は各事業者および当該取引の相手方の手元で保存されるにとどまり、直接課税当局に提出されるものではない」ことから「自己または他方当事者に対する調査の可能性を低く(極端な場合はゼロと)見積もる事業者についてまで、正しい申告を後押しする仕組みが埋め込まれているわけではない」ため「税務調査の抑止効果との相互作用によって初めて作動する仕組みとして理解しなくてはならない[285]」と吉村教授は指摘している。
その打開策として、「一定以上の頻度でインボイスの照合が行われているとの認識の醸成が必要である」ことから「一定額以上のインボイスについて、法定調書とすることが考えられる[286]」と提言する専門家もいる。
2.また、相互牽制作用は「取引の最終段階、すなわち最終消費者との結節点までは、この仕組みはカバーしていない」点も問題であり、これは「付加価値税の性質上、最終消費者には仕入税額控除が認められていないのであって、取引に係る一定の書類を保存するインセンティブは存在しない」ことから「連鎖する取引の末端でクロスチェックに基づく追跡可能性は失われ」ることになり、相互牽制作用による「抑止効果は作用しない」という「最後の1マイル問題(last mile program)[287]」が存在する[288]。
これらの取り組みは、今後のわが国のインボイス制度の制度運用においても、参考にすべき点があるように思われる。
[283] 水野忠常『租税法 第5版』 有斐閣(2011年4月)774頁
[284] 森信茂樹 前掲(注)86 41頁
[285] 吉村政穂「消費税と情報-付加価値税の自己執行メカニズムを中心に-」 ジュリスト1539号 有斐閣(2019年12月)36~37頁
[286] 笹川篤史「インボイス方式に関する論点についての考察」経営と経済第93巻第3号 長崎大学経済学会(2013年12月)119頁
[287] 吉村政穂 前掲(注)286 37頁
ラストワンマイル問題とは、物流における、最終拠点からエンドユーザー(消費者)への物流サービスにおける問題のこと。わが国でもアマゾン・楽天等のネット通販が急激に発展したことから、物量増加・配達手数料の低さ・配達員確保の問題・再配達の問題等を指すのが、本来の意味。吉村教授の論文では、この流行語に付加価値税の問題を結びつけている(提案者は、イギリスのJoana Naritomi准教授)。
[288] 吉村教授はこの問題の解決法の一つとして、「調査官としての消費者」を利用した仕組みを挙げており、ブラジルのサンパウロ州で行われた実証研究を紹介している。
これは、一定のオンライン手続きを経た消費者について、納税者番号の記入された領収書を発行してもらうことによって、くじに当選する可能性を認める制度を導入した。領収書は、事業者から課税当局に電子データとして毎月提出され、消費者はインターネットで領収証の内容を確認することができ、情報の誤りや領収書の不発行があった場合には、不服を申し立てることができ、当該取引で罰金が生じた場合には、告発をおこなった者に罰金の一部が配分されるという。
このような制度を導入したところ、小売部門と卸売部門の事業者について比較したところ、小売部門の納税者番号入りの領収書が発行される割合が大きく増加(売上額に占める割合が20%台後半であったのが40%前後まで上昇した)という。