前項では、個別の事業者の取引について、益税が発生する仕組みをミクロの視点から詳しく分析した。そこで、本項では、マクロの視点から国家全体として、益税額がどのくらい発生しているかについて各専門家の分析を紹介していくこととする。
第2節でも確認した通り「『益税』というのは、価格転嫁の程度により発生するものであるだけに、『益税』の実態、つまりわが国全体としてどの程度の『益税』が発生しているかを計測することは、各事業者の転嫁の度合いを調べなければならず困難」[89]であると思われる。そのことを理解した上で、先行研究から国全体の益税額の総計を見てみることにする。まず、橋本教授・鈴木准教授によると「『益税』を推計する方法としては、大別すると2つの方法」があるとされ、「ひとつは、消費税収の決算額と産業連関表で求めた理論上の税収を比較し、その差額を益税とみなす方法であり、いまひとつの方法はSNA[90]ベースでの理論上の税収と消費税収の決算額との差額を益税とみなす方法」[91]があるという。ただし、経済分析手法の詳細[92]について、筆者が解説・分析等を行うことはとても不可能であることから、各専門家による具体的な分析結果を取り上げながら、論を進めることにする。
まず、橋本教授・鈴木准教授による産業関連表を用いて益税を推計した結果は表1[93]である。
表で注目すべきは、2000年から2005年にかけての数字の落ち込みだが、この落差は、鈴木准教授によると「簡易課税適用上限が売上額2億円から5000万円に引き下げられ、免税点制度適用上限が売上額3000万円から1000万円となった」法改正の結果によるものである。また、2005年の益税額約5000億円のうち、「簡易課税による発生額が約1000億円であることを考えると、免税点制度による益税発生額は約4000億円と見込まれる。仮に消費税率を10%まで引き上げた場合には、約8000億円の益税が発生する可能性がある[94]」という。この推計からは、制度の緻密化による益税額の減少が実現していると考えられ、また、そのような分析結果をもたらした両氏の研究手法の確かさも、ある程度認められると受け止められよう。
他には、静岡大学税制研究チームは、1987年の試算[95]で益税の総額を年間約4800億円と試算している。ただし、この数字には、簡易課税制度・限界控除制度・事業者免税点制度などの中小企業特例措置のすべてが含まれた数字となる。
また、試算の時期が消費税法施行前であるため、純粋な思考実験と認められることから参考の記録と扱わざるを得ない。
次に、平野教授によると「2000年度に、消費税率5%の下での事業者免税点制度による益税は約2327億円発生」しており、また「現行制度のまま消費税率を10%としたときには4654億円、20%としたときには9308億円の益税が発生することになる[96]」としている。
また、羽田教授は2005年の統計をもとに「個人および法人の免税事業者の平均売上高をそれぞれ300万円および500万円として益税額を求めると、個人および法人それぞれ728億6900万円、742億6600万円となり、総額1471憶3500万円」[97]と試算する。
各論者の試算は、その方法・年度・対象において、それぞれバラツキがあり、単純な比較が難しい。ただ一つ言えることは、各論者の試算に数千億円の差額が出ることもあるということは、この試算がいかに困難であるかを物語っている、ということである。また、事業者免税点制度を単体で扱った試算として年間で1000億円を下回るものは無く、いずれも税率5%時代の試算であることから、税率10%時代には、事業者免税点制度の益税の総額は、概算として、年間で数千億円に達している、と筆者は考える。
一方で、国側からの数字として、2014年の参議院決算委員会での答弁において、愛知財務副大臣は「個々の事業者における転嫁の程度については統計等で把握することができないため、益税の額を定量的に計算することは困難」と前置きした上で、「事業者免税点制度及び簡易課税制度は中小事業者の事務負担に配慮するために設けられたものでありますけれども、仮に、仮にではありすけれども、これらの制度を廃止した場合の増収額について一定の前提を置いて機械的に試算を行うと、それぞれ、消費税の免税点制度については3500憶円程度、簡易課税制度については1500億円程度とみこんでおります[98]」と発言されている。
もう一つ国側の試算である直近の数字として、軽減税率導入による減収分の財源案として、免税事業者に対する課税に注目が集まった。日本経済新聞によると財務省案では、「2023年10月にインボイス(税額票)制度が導入されると、大企業や中堅企業と取引するためにはインボイスを出して課税事業者になる必要が出てくる。売上高が1000万円以下で消費税を納税していない事業者が納税するようになり、税収が増える」ため、2000憶円が免税事業者への課税による増収分[99]と見込んでいる[100]という。
上記の通り、各研究者の試算や国側の試算をもとにすると、先ほど述べたように、事業者免税点制度による益税の発生額は、年間で数千億円規模にのぼると推測される。国家の財政を考える上で、黙認できない規模であることは間違いないと思われる。
[89] 森信茂樹『抜本的税制改革と消費税』 大蔵財務協会(2007年10月)179頁
[90] 「SNAとは、System of National Accounts の略であり、「国民経済計算」と訳される。このSNAは、一国の経済の状況について、生産、消費・投資といったフロー面や、資産、負債といったストック面を体系的に記録することをねらいとする国際的な基準、モノサシです。」 内閣府HPより
[91] 橋本恭之・鈴木善充『租税政策論』 清文社(2012年6月)174頁
[92] 前掲(注)91のほかに平野正樹「消費税の論点整理と益税問題」岡山大学経済学会雑誌36(4)2005年3月 に詳しい。
[93] 橋本恭之・鈴木善充 前掲(注)91 177頁より
表の橋本(2002b)は、橋本恭之「消費税の益税とその対策」税研 VOL.18No.2(2002年9月)であり、鈴木(2011a)は、前掲(注)84
[94] 鈴木善充 前掲(注)84 52~56頁
[95] 静大税制研究チーム『消費税の研究』 青木書店(1990年8月)171頁
[96] 平野正樹「消費税の論点整理と益税問題」 岡山大学経済会雑誌 36巻4号(2005年3月)177頁
[97] 羽田亨「消費税における中小事業者に対する特例措置と仕入税額控除制度について-益税の問題を中心にして-」 関東学園大学経済学紀要 第39集(2014年3月)8頁
[98] 「第186回国会参議院決算委員会会議録第6号」愛知治郎財務副大臣発言より(2014年4月28日)7頁
https://kokkai.ndl.go.jp/#/detailPDF?minId=118614103X00620140428&page=6&spkNum=30¤t=1 最終アクセス 2020年1月13日
[99] 日本経済新聞(電子版) (2018年10月27日)
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO37008340W8A021C1EA4000/ 最終アクセス2020年1月11日
[100] インボイス制導入による事業者免税点制度に対する影響は、極めて大きいため、第7章で改めて考察することにする。