第8章 今後の事業者免税点制度のありかた

第4節 電子化による事務負担の軽減

1.本章第1節では、事業者免税点制度の縮小を検討し、筆者の代案を提示してみた。その案は、従来の制度から見た場合に小規模事業者に対し厳しい内容となっていることも否定はしない。

しかし本稿では事務負担の軽減として、従来型の放任という形ではなく、新しい技術を活用した真に事務負担を軽減させるような形での事業者免税点制度の姿を模索していく。

そこで、現在導入予定されている新たな申告手続きや電子化の試みについて検討を行うことにしたい。

2.2020年4月からは資本金1億円以上の大法人による法人税と消費税の電子申告の義務化が始まり[383]、会社員の年末調整も2020年分からインターネットで手続きを済ませられるようになり、医療費控除の確定申告も2021年分からデータ入力が自動化することになる[384]。このように申告手続きの電子化の動きは漸進的ではあるものの確実に進みつつある。

 特に年末調整については、事業者の事務負担が大きい分野であったため、この手続きの電子化は事務負担軽減策として評価すべきと思われる[385]。また、医療費控除の還付申告は、確定申告の全申告数の半分以上を占めており、税務署も2月の確定申告のため大量のアルバイトを雇って多大な手間をかけているという現状が改善されることから、医療費控除の合理化は納税者と課税庁側の双方にとって大きな意味を持っている[386]、と森信教授は評価している。

3.また、総務省は企業間でやりとりする請求書などの電子書類が本物だとする公的な認定制度を2020年度に設けるとの報道もあり、同制度の対象は「タイムスタンプ」と「eシール」という2つの証明サービスである。総務省は、インボイスへの活用も見込んでおり、eシールを使えば適格事業者であることを証明しやすくなるとみている。また、証明サービスの活用で電子化が進めば、平均的な大企業1社あたり1ヶ月の経理系業務が10.2万時間から5.1万時間に半減するとの民間試算もあるという[387]

 更には、政府・与党はクレジットカードや電子マネーなど現金を使わないキャッシュレス決済による経費精算で一定の条件を満たせば、税務申告に必要な領収書を紙で保存しなくても良いことにする方針を示した[388]。これにより支払日や決済額を示すデータを領収書と同じように扱えるようになり、働く人の事務作業を大きく軽減できる、という[389]

 キャッシュレスの分野で言えば、2019年10月1日からの消費税の税率変更に合わせて、キャッシュレス決済についてはポイントが還元されるキャッシュレス・ポイント還元事業も開始されている[390]

4.これらの一連の動きを見ていると、申告手続きの電子化は確実に進んでいる上に、電子インボイス導入に向けた布石[391]も着々と打たれているように思われる。そして、電子インボイスを導入するにあたっての注意点は、紙媒体と電子媒体、両方を保管するということを避け、できるだけ電子媒体だけにすることである。なぜならば事務負担の軽減のための電子化である以上[392]、紙媒体と電子媒体の2重の保存を強いてしまうことになれば、本末転倒となるためである。

それと同時に中小事業者への配慮も怠らないようにすること[393]だろう。なぜならば、事務負担の軽減効果を狙った一連の電子化の流れは、デジタルネイティブ世代[394]より若い世代の年齢層の事業者には歓迎されても、それ以前の年齢層の事業者には、逆に理解や習熟の点で負担の増加につながる恐れがあるためである。

つまり、電子化への取り組みは事業者の世代間において理解度や習熟度に大きなギャップがあるため、導入に当たっては世代間のこうしたギャップを考慮に入れて、既存の方法と新しい方法を併用しつつ漸進的に進めていく必要があると思われるのである。

5.また、事務負担の軽減のためには、電子インボイスの導入に加えて、記入済み申告書の導入も検討すべきであろう[395]

 所得税の分野での記入済み申告書は既に海外での導入事例も多い[396]ことから、わが国においても実現の可能性は高いと思われる。しかし、導入国の多くは年末調整が無い国であり日本で考えるべきは、記入済申告書の導入ではなく、年末調整の簡素化や効率化である、とする政府側の見解も示されている[397]ことから、議論は今後も続くと思われる[398]

その先には消費税の分野でも電子インボイス等の活用により、記入済みの申告書を導入し小規模事業者を事務負担から解放することで、より事業経営に集中できる環境づくりを行うことが重要となることだろう。第7章第5節に見た韓国の例では、年間売上高1億ウォン(1000万円)以下の小規模事業者についてのみ導入されていたことから、わが国においても対象を小規模事業者のみに限定することで、課税庁側のコストを抑えることも可能になると思われる。韓国と日本では、その置かれた状況に差異があり、一概に真似をすることはできないものの見習うべき点は多いだろう[399]

 そして、玉岡教授の指摘のように客観的な効果測定を行うことで、新制度の導入前と導入後における事務負担が本当に軽減されているかどうかをチェックする仕組みを作ることも、今後の重要な課題となることだろう。


[383] 日本経済新聞朝刊(2019年11月16日)

 令和2年4月1日以後に開始する事業年度(課税期間)から適用。企業側の準備が進んでおらず、2019年9月時点において紙で申告している大企業が少なくとも3割あることが判明した、という。

[384] 日本経済新聞朝刊(2019年11月30日)

 この電子化で大きな役割を担うのが政府の運営する「マイナポータル」というサイトであり、このサイトに生命保険料や地震保険料、住宅ローンの年末残高など、各種控除に必要なデータが金融機関から集められる、という仕組み。紙の証明書は添付不要で、年末調整を行っていた会社側のチェック作業等の事務負担は大幅に軽減される。

 医療費控除の確定申告についても、加入する健康保険制度から、払った医療費のデータがマイナポータルに自動的に集まる仕組みにより、電子送信するだけの手続きとなる。

 いずれの手続きもマイナンバーカードを必要とすることから、カードの取得実績が1823万と国民の約14%に留まっている現状があり政府は普及促進に躍起、であるという。

[385] 森信茂樹 前掲(注)356 207頁

 この動きに対し「納税者がマイナポータルなどで電子的に必要な情報を受け取り経理に送付するということで、どこまで企業の事務が効率化されるのでしょうか。また、勤務先の年末調整のために納税者が自らポータルを開設して必要な書類を電子的に入手して経理に送付するというのは、二度手間といえないでしょうか。

年末調整制度は、税務当局にとってはありがたい制度ですが、納税者にとってみれば、会社にさまざまな情報を提供しなければならないので、プライバシーを知られるのが嫌だということで、年末調整をしない納税者が増えているという事実もある」として、森信教授は年末調整制度とその電子化に懐疑的な姿勢を示している。 

[386] 森信茂樹 前掲(注)356 210頁

[387] 日本経済新聞朝刊(2019年11月28日)

 タイムスタンプは電子書類が作成された時刻を証明し、それ以降に改ざんされていないことの証拠になる。eシールは電子書類を作ったのがその企業であることを証明する。欧州で普及し、日本でも徐々に広まっている。

 タイムスタンプの認定制度は2020年度、eシールは2021年度に設ける、タイムススタンプは総務省が直接認定し、eシールは総務省の基準に基づき民間が認定する仕組み、であるという。

[388] すでに、2019年12月20日に閣議決定された令和2年度の税制改正大綱に盛り込まれた。2020年10月から施行予定である。

令和2年度の税制改正大綱 財務省HP(2019年12月)77頁

https://www.mof.go.jp/tax_policy/tax_reform/outline/fy2020/20191220taikou.pdf 最終アクセス 2020年1月6日 

[389] 日本経済新聞朝刊(2019年12月7日)

 企業は今でも領収書をデータで保存することが認められているが、情報改ざんを防ぐための厳しい内規を作ることが義務づけられている。また財務省によると、大半の企業は念のため紙も保存しているという。

[390] 事業概要は「消費税引き上げ後の消費者喚起とキャッシュレス推進の観点から、10月1日からオリンピック・パラリンピック直前の2020年6月末までの9か月間実施される中小・小規模事業者向けの支援制度」とされ、消費者へのポイント還元は、中小・小規模事業者が5%、フランチャイズチェーン・ガソリンスタンドなどは2%とされている。 経済産業省HP 

https://cashless.go.jp/franchise/ 最終アクセス 2020年1月2日

[391] 湖東教授は「安倍内閣がキャッシュレス化を進めるため、ポイント還元制度を設けるというが、これは韓国の『クレジット控除制度という餌』を模倣したものである」(湖東京至 前掲(注)301 80頁)と指摘している。

湖東教授の指摘の通り、将来電子インボイス制度が導入されても「(課税庁が捕捉できない)穴」になる可能性がある消費者への販売をキャッシュレス決済によるデータで、課税庁側が捕捉しようという目的もあるように思われる。

[392] 玉岡雅之 前掲(注)303 134~136頁

 玉岡教授は、納税協力費用の計測をオフィシャルに行うべき、と主張する。

「ニュージーランドであれば、特に中小事業者の納税協力費用を下げるようにということで、毎年計測しています。それを下げることが、より良い税務行政の目標であるとこでやっているわけです。発展途上国でも、納税協力がなければ税収の確保ができないということでそのようなことを行っている。残念ながら日本では、そのような意識が非常に低いということです。計測が行われていません。是非とも行う必要があると強く思います。」

[393] 玉岡雅之 前掲(注)303 136頁

[394] デジタルネイティブ世代とは、学生時代からインターネットやパソコンのある生活環境の中で育ってきた世代であり、日本では1980年前後生まれ以降が該当する

[395] この点で、所得税の分野では森信教授は、年金受給者から記入済み申告書を導入すべき、とする注目すべき主張をしている。

それは、年金受給者の多くは、生命保険料控除、地震保険料控除、医療費控除等を受けるために還付申告をするが、給与所得者の年末調整のような申告負担の軽減措置がないため、およそ2400万件に及ぶ所得税(還付申告を含む)申告件数の半数以上は60歳以上の高齢者による申告が占めている。そこで、まず年金受給者から記入済み申告書が導入することで、納税者の申告負担が軽減されることとなる。

その上、税務当局においても、紙ベースの申告書を収受した場合、記入漏れや添付書類からの転記ミス、計算間違いといった納税者のミスをチェックすることに膨大な事務負担がかかっていることから、この負担を解消する意味でも、導入の意義は大きい。

さらに、所得税の確定申告書は住民税額を確定するための課税資料として使われていることから、市区町村にも同様の事務作業が発生しているため、記入済み申告書が導入されれば、市区町村は納税者が確認を終えて確定した申告情報を国税当局からデータで受け取ることが可能となるため、申告書のチェックに係る事務コスト、申告書のコピー代、データ化(パンチ入力)コスト等を削減することが可能になり、国税当局と地方自治体の申告書に伴うコストが大幅に削減されることになる、という。

森信茂樹・小林洋子「記入済み申告制度-納税者利便のための納税者番号の活用」 国際税務研究第22号 国際税制研究センター(2009年5月)46~47頁

[396] 森信茂樹・小林洋子 前掲(注)395 43頁

2000年代に入り導入国が増加していることが下記図から分かる。

[397] 中里実「今後の税制の課題と改正の動向-納税手続の簡素化を中心に」TKCタックスフォーラム2017(2018年1月)20頁

https://www.tkc.jp/~/media/Tkc/tkcnf/news/docs/taxforum2017rerepo_lc1.pdf 最終アクセス 2020年1月4日。

中里教授(政府税制調査会会長)は「誤解のないように申し上げておきたいのですが、決して記入済申告書を支持される方を批判しているわけではありません。記入済申告書を推進したいという方と、根本にある思いは一つです。しかし、せっかく年末調整という制度がありますので、それを活かして簡素化しようという次第です。」と念を押されている。

[398] 中里教授は「日本でこれから全部記入済申告書にするとなると、国税庁の職員を相当増やさなければならない上、コンピューターソフトウエアのデータも勘案しなければならない等、様々な問題の発生が想定されるため、そう簡単にはいかないでしょう」(前掲(注)397 20頁)と述べているため、現在のところ年末調整により所得税の申告が完結している給与所得者を敢えて記入済申告書により確定申告に導く必要はない(それだけの確定申告に対応できるだけのキャパシティも課税庁側にはない)という考え方であると思われる。

よって、年末調整の電子化(電子化の推進にあたっては、給与所得者に税額控除等の何らかのインセンティブを与えることが必要になると思われる)を進めつつ、同時に小規模事業者や年金所得者については記入済申告書を推進していく方向が望ましい、と筆者は考える。

記入済申告書の問題について、政府側は「申告納税制度の理念に反するような制度」(中里実 前掲(注)397 20頁)と捉えており、逆に推進派は「年末調整を廃止して税額を自らの申告により確定する自主申告制度導入することは、自らの税負担を自覚することになり、民主主義の基本ともいえる納税者意識を養い、無駄な歳出を抑制する効果を持つ。また、社会への参加意識を高め、引いてはタックスペイヤーとして、税金の使途に対する監視の目を養い、民主主義の原点につながる効果がある」(森信茂樹 前掲(注)395 47頁)と肯定的に捉えている。

政府側の見方は記入済申告書を納税者に押し付けるイメージで捉えていると思われるが、推進派は記入済申告書をあくまで、自主申告のための便利なたたき台として捉えており、その内容を納税者が精査して、時には納税者自身で訂正等を行い納得いく形で確定申告を行うというためのツールと捉えていることから、両者のイメージに開きがあるように思われる。

[399] 森信茂樹『税で日本はよみがえる-成長力を高める改革-』 日本経済新聞社(2015年3月)229~231頁

 所得捕捉に向けての熱意・努力と、納税者へのインセンティブ、さらには納税者サービスの充実は、今後マイナンバーを活用して行う国民視点に立った税務行政として、ぜひ見習うべき点であろう、と韓国政府を評価している。

 また韓国について、「世界有数のIT国家(ITを活用した電子政府)になった背景には、北朝鮮との戦時体制のもとで住民登録番号などによる国民管理の必要性があったことや、1997年の金融危機に端を発したIMF管理による抜本的な経済改革を余儀なくされたことなどがある」と分析している。

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