第1節 基準期間の趣旨

1.第2章第5節でみた判例において、原告は、「全納税者及びすべての事業者の常識ともなっている3000万円以下の売上高の事業者は免税されるとの社会通念(後略)」といった主張を行っていた。この主張を法に基づいて、誤解と断ずことは容易であり、また、この主張が「全納税者及びすべての事業者の常識」になっている、とも考えにくいのは事実である。

だがこの主張は、免税点制度における基準期間と課税期間とが異なっていることに対する市民の強い違和感を表象しているようにも思わる。この問題について、秋山教授は「例えば、法人税法では、対象となる期間に利益があれば納税義務を負うことになるのであるから(法法5[149])、基準期間という考え方はそもそも存在せず、基準期間と課税期間が一致している状態であり、したがって、会社の実態と課税するか否かの基準となる期間が一致している[150]」のに対して、消費税法では、基準期間と課税期間が一致していないことを指摘し、その時間的なズレは「事業者にとって経済環境の大きな変化というビジネスリスクを抱えること」になる点を問題視している。その一例として、米国発のサブプライムローン問題に端を発した未曾有の混乱した経済環境下において、消費税法には時間的なズレを是正する仕組みがないのではないか、との問題提起がある。

2.そもそも、なぜ法は、基準期間という2年前または2事業年度前の期間を用いて、納税義務の判定を行うことにしたのであろうか。消費税法の創設・導入に携わった木村税理士は「その課税期間において課税事業者、すなわち納税義務者になるかどうかという判定については、その課税期間で判断するのが理屈としては合っている[151]」としているのに対して、敢えて2年前の期間で判定する意味は、何であろうか。

 この点につき、岩下税理士は、「この基準期間は、消費税が転嫁を予定した間接税であって納税義務者を事業者としていることから、事業者が新しくスタートする課税期間で免税事業者となるのか、又は課税事業者となるのかをその課税期間の開始の日にあらかじめ判明していることが必要であり、また、その判定基準となる課税売上高の集計に一定の期間が必要であるとの観点から個人事業者は前々年(2年前)、法人は前々事業年度(1年決算法人の場合には2期前)としたのである[152]」と説明している。

 では、なぜ「課税期間開始の日にあらかじめ判明」していることが必要なのであろうか。課税期間中に判明しても問題はないのではないか、という疑問もわく。

 この問いに対しては、財務省主税局は「『基準期間における課税売上高』を事業者免税点の判定基準としているのは、消費税は転嫁を予定している税であるので、納税義務者となるかどうかについて、あらかじめ判定する必要があるからである[153]」と説明しており、消費税導入時の主税局長である尾崎元国税庁長官は「消費税は、転嫁を予定している税であるので、納税義務者となるかどうか、事業者が予知している必要がある[154]」ためとしている。

 さらに木村税理士は、基準期間が前年ということになると、例えば12月31日が終わると即日その年の課税売上高を計算して、1月1日から販売する物品について、自分が課税事業者に当たるかどうかを判断しなければならないことになりますが、そういうことは実務上困難ですので、前々年、あるいは法人の場合ですと、前々事業年度というように、1年間の間隔を置いて2年前としている[155]」と説明している。

 各専門家の言う通り、課税期間が始まる前に、課税事業者に該当するかどうかを判断しなければならないことは、理解できる。また、1年前では計算する期間が取れないために、2年前としたことも理解はできる。とは言え、結果として基準期間と課税期間との間に2年間ものズレが生じる制度はどう考えても洗練されているとは言い難い。そこで、諸外国の基準期間についての制度設計について検討を加えることにする。


[149] 法人税法第5条 内国法人に対しては、各事業年度(連結事業年度に該当する期間を除く。)の所得について、各事業年度の所得に対する法人税を課する。

[150] 秋山高善「消費税法における基準期間の今日的意義」 国士館法研論集第10号 (2009年)82~83頁

[151] 大島隆夫・木村剛志『消費税法の考え方・読み方〈五訂版〉』税務経理協会 (2010年10月)99頁

[151] 岩下忠吾『改訂版 総説 消費税法』 財経詳報社(2004年10月)76頁

[152] 大蔵省主税局税制第二課編 前掲(注)3 18~19頁

[153] 尾崎護編 前掲(注)23 187~188頁

[154] 大島隆夫・木村剛志 前掲(注)151 99頁

第2節 諸外国との比較

鎌倉氏によると、諸外国においても、「中小事業者に対しては、事業者の納税協力費や徴税費を軽減する観点から、一定規模以下の事業者に納税義務を免除する事業者免税点制度が、多くの国で設けられている[156]」という。以下、主要国の中小事業者に対する課税特例措置について、鎌倉氏の論文[157]を元に確認していくことにする(下線筆者)。

①イギリス

直近12か月間の課税売上高が8万5000ポンド[158](1190万円)以下の事業者又は今後12か月間の課税売上見込高が8万3000ポンド(1162万円)以下の事業者

②ドイツ

前暦年の総課税売上高が1万7500ユーロ(206.5万円)以下かつ当暦年の総課税売上見込高が5万ユーロ(590万円)以下の者

③フランス[159]

物品販売、宿泊施設業の場合、前暦年の売上高が8万2800ユーロ(997万円)以下かつ当暦年の売上高が9万1000ユーロ(1073.8万円)以下の者

④スウェーデン

当課税年度の課税売上見込高が3万スウェーデン・クローネ(33万円)以下かつ直近2課税年度の課税売上高がいずれも3万スウェーデン・クローネ(33万円)以下の者

⑤デンマーク

年間課税売上高が5万デンマーク・クローネ(80万円)以下の者

⑥カナダ

連続する4四半期における国内外の課税売上高が3万カナダ・ドル(243万円)以下の小規模事業者

⑦オーストラリア

当月以前12か月の課税売上高及び当月以降12か月の課税売上見込高のいずれも7万5000オーストラリア・ドル(

547.5万円)未満の事業者

⑧ニュージーランド

直近12か月の売上高が6万ニュージーランド・ドル(408万円)未満かつ今後12か月の売上見込高が6万ニューランド・ドル(408万円)未満の事業者

⑨韓国

簡易課税制度の適用を受ける個人事業者のうち、課税期間中の売上高(税込)が2400万ウォン(200.6万円)未満の事業者

 ④のスウェーデンにおいては、直近2課税年度で判定していることから、わが国に類似する点を見ることもできるが、スウェーデンの場合は、その他にも当課税年度をも基準にしていることから、やはり根本的に異なっているように思われる。また、他国においては、「わが国のように2年も前の課税期間で判定する仕組みを採用している国は少なくともここで掲げた国ではなかった[160]」ことが明らかになった。

このような諸外国の状況を鑑みるに、日本だけが、2年も前の課税期間で判定していることに、違和感を覚えざるをえない。そして、基準期間と課税期間とのズレの2年間は、免税事業者が免税メリットを享受することができる期間でもある点は、見過ごすことができない事実である。また、わが国の免税点はイギリス、スイス、フランスについで高水準[161]であることも併せて考えると、わが国の小規模事業者の免税メリットが、主要国中で最も大きくなっていることを意味している。

このように諸外国との比較の中で考えていくと、わが国の小規模事業者への配慮は、いささか過剰なものと言わざるを得ないのが現状である。先にみたように、消費税導入時に、小規模事業者への配慮から事業者免税点制度が創設されたものであるが、消費税への理解と浸透は、導入から既に30年を経た現在、大きく進展しているものと思われる。そこで、諸外国のような当期の見込み売上高基準を検討する時期に来ているのではないだろうか。

この点につき、山田教授は、「EU諸国と我が国では、付加価値税又は消費税を課されることに対する国民の受け止め方が大きく異なっており、同じ条件で考えることができない[162]」として、注意を喚起している。では、EU諸国では、付加価値税の受け止め方は、どのようなものであろうか。


[156] 鎌倉治子「諸外国の付加価値税(2018年版)」国立国会図書館(2018年3月)14頁

[157] 鎌倉治子 前掲(注)156 17頁の表を参考にした。

[158] 為替レートは、1ポンド140円、1ユーロ118円、スウェーデン・クローネ11円、デンマーク・クローネ16円、カナダ・ドル81円、1オーストラリア・ドル73円、1ニュージーランド・ドル68円、1ウォン0.0836(2019年11月中適用の裁定外国為替相場)で計算した。

[159] サービス業の場合は、前暦年の売上高が3万3200ユーロ(398.4万円)以下、かつ当暦年の売上高が3万5200ユーロ(422.4万円)以下の者。

[160] 秋山高善 前掲(注)42 165頁

[161] 免税点の問題は、第5章において詳しく扱う。

[162] 山田晃央 前掲(注)8 74頁

第3節 EU諸国における免税事業者

西山教授によると「EUの付加価値税共通ルールでは、日本で一般に『免税事業者』と呼ばれる小規模事業者は、人的非課税として位置づけられている(2006年付加価値税指令-282条)。そしてこの非課税事業者からの仕入れについては、税額控除が認められない[163]」ことになり、また、免税事業者になることは、「インボイスの発行が禁止されるため、取引上かえって不利になるとして、実務的にも零細事業者以外の事業者からは敬遠されている[164]」ようである。

 また、EU諸国では、「『事業者』は、『事業者』であるというステータスゆえに、自分が購入した『モノ』・『サービス』の付加価値税を還付してもらえる[165]」ことになり、「会社(事業者)にとって、付加価値税は『コスト(費用)』ではない[166]」と受け止められていることから、免税事業者であることに対するメリットが少なく、更に言うと「EU諸国では、『益税』という言葉は存在しない[167]」という状況である。

 このように、「EU諸国においては、課税事業者になることは、前段階の税額を控除できる特権を得ることと捉えられているからこそ、当期の見込み売上高基準により、当期の中途から課税事業者となったとしても、問題とされることがない[168]」と山田教授は、分析している。

 逆にわが国では、「免税事業者は納税しなくて良いから儲かる、というような『節税』につながる考えが主流であると思料され[169]、仮に当期の見込み売上高基準によって、当期の開始時に遡って納税義務を課したとすれば、不利益訴求として争いになると危惧される[170]」ため、「例えばドイツのように、免税事業者にとどまろうとする者よりも課税事業者になることを選択する者が多いというような、現在の我が国の納税環境とは逆の流れになることをまたなければ、納税者等が混乱することになるのでないだろうか[171]」と指摘し、また、わが国も令和5年10月にインボイス制度が導入されることをきっかけにして、当期の見込み売上高基準の導入を検討する余地が出てくるのではないかと提言されている。

 山田教授の提言は、国民感情に配慮した穏当な意見であるが、筆者は、金子教授が「最も重要な改革」と位置付けるインボイス制度の導入[172]に合わせて、見込み売上高基準を同時に導入することも検討するべきであると考える。

なぜならば、諸外国と現在のわが国との制度的な相違点として、諸外国は税額控除の方法がインボイス方式であるのに対して、わが国は「OECD加盟国で唯一、国家レベルで、仕入れに係る税額を控除する方法として仕入控除方式(いわゆる帳簿方式)を採用している[173]」点を挙げることができ、その相違点は、インボイス制の導入時に解消されることから、基準期間についても、OECD加盟各国と同様の仕組みを取り入れることがインボイス制の正しい理解にもつながると考えられるからである。

それは、西山教授の指摘する「中立原則」に基づいた消費税のあるべき姿であり、森信教授が言う「益税という言葉が存在しない」健全な姿でもある。幸いにして、インボイス制の導入までに十分な時間が残されていることから、現在のこの時期に、国会の議論の俎上に載せ、国民に周知することが、わが国の消費税が真に国際的な基準に適合することにつながる、と思われるためである。


[163] 西山由美「消費課税システムにおける『税額転嫁』」 税理VOL.57No.1(2014年1月)106頁

[164] 岩﨑政明 前掲(注)26 322頁

[165] 池田良一『欧州ビジネスのためのEU税制』 税務経理協会(2013年1月)180頁

[166] 池田良一 前掲(注)165 268頁

[167] 森信茂樹 前掲(注)86 39頁

[168] 山田晃央 前掲(注)8 75頁

[169] インターネット検索サイト(グーグル)で「消費税節税」と検索すると会計事務所による解説サイト等が、約452万件ヒットした(2019年11月4日現在)

[170] 山田晃央 前掲(注)8 75~76頁

[171] 山田晃央 前掲(注)8 78頁

[172] 金子宏 前掲(注)14参照

[173] 鎌倉治子 前掲(注)156 77頁